猫が死んだ話

30くらいの時、夫と結婚した。

当時、夫の実家には猫がいた。私も何度か触れ合ったことがある。老猫ながら見た目がかわいく、夫が猫びいきなのも頷ける。

数年して、夫が猫を飼いたいと言い出した。彼はネットで猫を譲る関連のページを調べ上げ、アビシニアンの里親募集ページに辿り着いた。

私はペット大歓迎な人だったので、夫に賛同し、アビシニアンのキキがうちに来ることになった。

同時期に、私が妊娠した。医者に、猫を引き取ることになるが、大丈夫かと聞いた。(アレルギーや病気などの観点で)

医者は「大変だと思いますよ」と呆れた顔をしていた。

その後、赤子は定着せず流産した。

 

キキがうちに来た。

車での移動中、常に鳴いていた。不満だったろう。

家に着いても不満そうに鳴きわめいていたが、順応性の良さかほどなく落ち着いた。

私がほぼ家にいるのもあり特に懐いてくれ、私は人生で初めて「愛おしい」という感情を感じた。本当に、愛おしかった。

 

キキは14年生きた。

 

数年一緒に暮らした頃、キキと目が合った時にゆっくり目をつぶってみた。

時々キキがそうするので真似てみたのだと思う。

そうすると、キキもゆっくり目を閉じ、同じ動作をしてきた。

私は「猫ってこっちが目をつぶるとまねするんだな」と面白くなったのだが、後ほど、これが猫の愛情表現だという説を知って嬉しくなった。

 

晩年のキキはよく声を発していた。飼い主への不満が大きかったと思う。不便を感じさせて申し訳ない。

ただ、喋りかけてくれているのだと捉えると、嬉しい部分もあった。

 

死に際の動物を看取る経験はなかった。

キキの死ぬ瞬間を見たかった。

でも死ぬかどうかを見極めるのは難しい。もう助からない時に入院という寂しい思いをさせてしまったのは悔やむところだ。

いつ逝くともわからないと病院側に言われ、家に連れ帰り看取った。

ずっと前肢を握っていた。元気な頃であれば拒否されていただろうと思う。

過去聞いたことがある高齢女性の「孫に手を握って看取って欲しい」という願望が印象的で、なんとなく握って離さないでいた。

横になって苦しそうに息をしているキキと目が合ったので、涙を流しながらゆっくりまばたきをした。すると同じようにゆっくりまばたきをしてくれた。

余計に涙が出た。

本当に嬉しかった。伝えてくれてありがとう。

もうその頃には愛情表現だと捉えていた。涙が止まらなかった。

 

キキの死に際、息苦しそうな動作をし、少し伸びのような動作をして停止した。

話しかけても反応がないので、亡くなったと判断した。

夫が業者に連絡してくれ、翌朝キキは焼かれた後に骨としてうちに帰ってきた。

大好きなちゅーるを添えたので、骨は魚臭かった。